以前も 同じような投稿をしたのですが、記事が見当たらず…
今日、新たに 書いてみることにしました
3.11 に 想うこと…
5年前の 3月11日、千葉は 液状化現象に 見舞われていました
海沿いの 埋立地は、道路も 公園も 地面の所々から、 砂や 水が噴き出て、とても歩ける状態では ありませんでした
夕方になると、多くの帰宅者が 国道沿いの 歩道を歩いていました
異様な光景でした
そこで初めて、交通機関がマヒしていることに気づいたのです
深夜勤務であった 私は…
同僚の車で、海岸方面へ走る車の無い中、悪路を走り、なんとか海岸沿いの勤務病院へ着けました
院内破損は皆無であり、通常 夜間外来が始まっていました
交通や 家の事情により 来れないスタッフの穴埋めを 日勤者がしていました
この日の 来院者の多くが 救急車を使っていました
確か、救急車は4駆では 無いはず…
そう台数の多くない 千葉市内の救急車は フル稼働であると 救急隊の方が 言っていました
余震の中、勤務をこなし、朝になると…
日勤の勤務者達が、いつも通りに出勤してきました
それも 誰一人 休むことなく…
深夜勤務が終わり、いざ帰ろうと…
まさか、こないよね…と思いつつ、病院前のバス停へ…
なんと、悪路の中をバスが 時刻表通りに来るではないですか!
驚きと共に、感動というか…何かを感じつつ駅に着くと…
駅前の 大型スーパーの壁に亀裂が 何か所もはいり、壁が一部 崩落している…
その脇で、お客さんを 店内に 誘導している店員さん達…
えぇ…スーパーも通常業務している…
それを横目に、次の乗り換え バス停へ…
なんと ここでも時刻表通りに、バスが来ました
バスの中、ひとり…凄い 凄いよ…と 頭の中を言葉が グルグルしてました
大きな震災の翌日、町はできるだけ 通常であろうとしている
そこに関わる 人たちは どんな夜を過ごし、どんな思いで出勤し、勤務してるんだろう…
災害派遣病院で長く働き、看護師として 災害地への 派遣も経験している私です
災害地での救援活動の重要性は 嫌というほど分かっています
また ボランティアや その他の活動も、本当に凄いことだと 知っています
でも、あの日…見たのは、それぞれが 自分の職場で 自分の仕事を こなしている風景…
病院のスタッフも、救急隊も、バスの運転手も、スーパーの店員も…みんな、みんな…
決して 特殊な事ではないのかもしれないけど…
そんな みんなの おかげで 私は 無事に帰宅できた
町は混乱せずに、済んでいた…
あの時、私の中の 価値観が変わったように 思います
誤解を 恐れずに書かせてもらえば…
災害や 事故… そこに直接関わることだけが、大事なことではないのではないか…
日々の暮らしの中、自分の居る場所で、自分の仕事を…出来ることを していくことも、とても大切なことではないか…と
今、私は バリ島に居ます
震災後も ボランティア等で 東北に行くこともありませんでした
決して 震災を無かったことにしようなどとは、思いません
原発事故だって、いまだ続いていることも 知っています
もちろん 縁あって、その地へ行く事になれば、全力で 出来ることを します
でも 今は、ここバリ島で 私の出来ることを 精一杯しようと、思います
私のしたいこと…伝えていく事…つながっていく事…
それが まわりまわって…いつか 震災復興や 脱原発に つながって いくことを 信じて…
そして、平穏な日常を送れる事…そこに どれだけの方々が 関わってくれているのか…
本当に 感謝しかなく、自分は どれだけ関われているのか…などと 想いを馳せる 今夜です