(後半は前回のjournalと重複しています)
2012年12月29日の出来事を、ありのままの気持ちで書いてみようと思う。
12月29日は41回目の私の誕生日…。
はじめは仕事を入れないつもりだったのに、結局勤務の都合上、深夜勤務をすることにした。
このまま終わるのかな…と思っていると、自宅で心停止患者の救急要請が入った。
当院かかりつけの、癌末期の患者さんとのこと。
カルテを見ると、家族とできるだけ最後まで自宅で過ごすとあった。
個人的意見ではあるが、末期患者の在宅看取りに私は大賛成である。
医療者としてはいかかがなものかと思うが、積極的治療の意味が分からないからだ。
終末期医療について同僚と話ながら、患者受け入れの準備をしてから数十分後
娘さんと訪問看護師同乗にて、患者さんが到着した。
すでに呼吸停止、心停止状態であるが救急隊は心臓マッサージを続けている。
んん??なんで?延命処置は不要との意向では…?その意思を無視した行為に
私は不快感を感じずにはいれなかった。
少し強い口調で、訪問看護師に「DNRなんですよね?」と確認する。
訪問看護師は「はい、そうです。」と。
収容時、救急隊にそう告げなかったのか…?
痩せた小さな体のお婆さんに、心臓マッサージはむごく見えるだけである。
早々に救急隊に中止させ、ベッドへ移動しモニターを装着した。
すでに心電図は心静止。 モニター上で生態反応は見られない。
一応、救急隊になぜ心臓マッサージをしてきたのか、聞いてみると
「一応してきました」と。 なんだ!その一応というのは!!
DNRを選んだ患者さんや家族への尊厳は無視か!
死への意識の低さに呆れるしかなかった。
娘さんは泣きながら「昨日は、もう何も食べないで、意識が朦朧としていて、
寝て起きたら、既に呼吸をしてなく、急いで訪問看護師さんを呼んだんです」と話す
私は、医師が来るまでの数分間、訪問看護師は、いかに娘2人が頑張って在宅介護をしていたかを話していた。
当直医師が診察をし、娘さんに死亡確認の時刻を告げ、私達は深々と頭を下げた。
娘さんも泣きながら、私達に頭を下げた。
数分して、私は患者さんの目やにが気になり始めた。
まだ他の家族到着までには時間があるようだったので、娘さんにことわって顔を拭かせてもらうことにした。
私は、顔を拭きながら、「あぁ痩せこけているけど、綺麗だなぁ。これが自然な死ってものだよ」と少し感心し、思わず娘さんにも「穏やかなお顔ですね」と言ってしまった。
娘さんも「母が穏やかな顔をしているから、苦しまずに逝けたのかと思えます」と声をつまらせながら、話してくれた。
数分後、他の家族が続々と来院し、患者さんを前に泣いている。
家族全員が市内在住ということで、揃うのにいくらも時間を要しなかった。
家族全員が揃い、お別れを言い終わるのを待ち、私達はお見送りの準備を始めた
死後の処置である。
患者さんの全身を清拭し、詰め物をし、新しい寝衣への更衣をするのである。
患者さんの体は、痩せこけてはいるが、どこにも床ずれはなく、皮膚の落屑を除けば、本当に綺麗である。
娘2人が丁寧に行き届いた介護をしていたことが良く伝わってくる体であった。
私は、清拭をしながら、この患者さんの人生について思いを馳せた。
70歳代後半であれば、寿命的にも十分生きたほうではないか…。
しかし晩年、病気(治療)続きであったようで、どんな気持ちで過ごしていたのだろうか
患者さんが小さな方であったということもあり、あっという間に更衣まで済んだ。
後は化粧だけという段になり、私はふと「この方にはオイルだけのほうが良いかもしれない」と思った。
試しに2度オイルマッサージをしてみると、肌のかさつきが取れ、自然な肌つやになったではないか。
私は自己満足ながら、嬉しくなり同僚に賛同を求めた。
後は、担当医の到着と死亡診断者の出来上がり待ちとなり、私はその場を同僚に託し離れた。
そうトイレに行っただけのことだが、便座に腰かけ気が緩んだのか、何気なく亡くなった患者さんに話しかけるように、つぶやいていた。
「人生、満足でした…か?」 生きている方から伝わる思いの感じと違い
軽くて薄い…そして透明感のあるような、澄んだ感じである。
「満足?良く分からないけど、もう十分。 十分生きたし、十分良くしてもらった。これで良かったんだよ。 最後に味噌汁ぐらい飲みたかったかねぇ…」と聞こえた。
穏やかで、もうすでに遠くなりつつある感じがした。
「そうでしたか…。本当にお疲れさまでした。ゆっくりされてください」と、私は伝え
トイレを出た。
何気ない、本当に何気ない会話のようだった。
担当医も書類も揃い、患者さんと家族を霊安室へお連れし、お焼香をした。
自宅へのお迎えの車が来るのに時間がかかる為、私達は外来へ戻ることにした
もどる道すがら、私は同僚にトイレでの出来事を話した。
「伝えてあげたら良かったのに…」と、彼女はサラリと言う。
「そりゃあ私だって、こうした仕事(兼業としてSpiritual Mediumをしている)をしているんだから、伝えてあげたいと思うけどさぁ…。娘さんだけになら言えたかもしれないけど…。聞きたいかどうかもわからないじゃん。信じるかわからないし…。パートだし…」
私は伝えられなかった言い訳を彼女にもっともらしくしていた。
「え~っ、聞きたいもんなんじゃない?」と、彼女はまたもやシレッと言った。
パートの看護師が突然、真顔で霊の話をしたら、家族はどう思うのか?病院に苦情が入るのでは?
私の中の常識という概念が、私を邪魔したのだった。
伝えるか、伝えないかは私の問題。何をどう理由づけしたところで仕方ないのだ。
私は少しだけ涙がにじみかけながら「いつか当たり前のように、ちゃんと伝えられる時がきたらいいな…」と、同僚に言うのが精一杯だった。
これでこの日、私に起きた病院での出来事は終わりです。
しかし、この話にはまだ続きがあったのです。
それは新年も越えた、風邪を引いたことから始まりました。
まぁ咳が多く出る風邪で、2週間してもすっきりと治らず…。それでもようやく良くなってきたと思っていた数日後、尋常じゃない咳が出始め、風邪が再燃したのです。
なぜ?雪が降ったから?疲れていたとか?? はっきりとした理由も分からぬまま
とにかく内服薬を変えて対処しました。
体の奥から肺に響き渡るような、大音量の咳。そんな咳をしながら勤務をしていると
あの日一緒にお見送りをした同僚が「その咳、なんかしゃべっているみたいだね」と
意味深なことを言うではありませんか。
そして同じ日に、いつもお世話になっているChanneler踏江さんから、メールが届いたのです。朝日新聞掲載の「看護の日」イベント用の、看護にちなんだエピソードの募集記事でした。
…んん??この道20年の私が、いまさら私が看護談を書くの?と不思議に思っていると…、昨年末、私の誕生日にお見送りをした時のことが思い浮かんできたのです
深夜勤務明け、私はあの日のことを思い返しながら、自宅に向かい歩きました。
亡くなった方の言葉を聞きながら、伝えることができなかった自分への不甲斐なさ…
伝えられないなら聞いてはならないのではないか…など、様々な思い頭を巡り
気づいたら涙が溢れ、止まらなくなっていました。
それは悔しいとか、悲しいとかではない…。何の涙かわからぬまま、家に着くまでの
10分ほど続いたのです。
これは、私にとって初めての体験でした。
すぐさま踏江さんにメールをすると、彼女もお見送りのエピソードが浮かんでいたそうで、それで目に止まった、看護エピソードの応募記事を送ったとのことでした。
<書き始めて、もっと自分の奥が動いて、溢れているのが分かるでしょう。
愛されているね。そして沢山愛したいのだと想うよ。
宇宙の愛、神の愛は、ただただ深い真実!!> と返信に書かれていました。
実は私「愛」って言葉、最も苦手なんです。
それでも、この溢れてくる感じが「愛」だというのなら、もっと知りたいなぁ…と本気で
思えたのです。 正直、意外でした。
しかしこれが今の私の本心なのだから、恥ずかしがらずに取り組むことに決めました
そう決めると、あんなに強く出続けていた咳が、少しづつ減ってきたのです。
体は正直ですね。意識が気づかなければ、気づけるように症状を起こすのですから。
そして、それを伝えてくれる人をちゃんと用意してくれているのですから…。
本当に、宇宙も神様も疑いようのない凄さです。ただただ、感謝しかありません。
これが、今回のエピソードの全てです。
私の中でいよいよ「愛」の課題(学び)が本格的に始まった…そのためのエピローグだったように感じます。
2013/01/20 作成